2005年03月07日

オペラ座の怪人について考える

このごろずーーーーっとオペラ座の怪人のサントラを聞いてます。映画版とミュージカル版の二つ。それぞれ素晴らしいのだけど、やっぱり私は映画の方が好きかなあ。

んで、どの曲が好きかというと、「The Point of No Return」がダントツ。もちろんあのファントムが現れるときのテーマも好きだけど、切なさ一番はこれだよなあ、と思う。


んで、何が切ないかというと、実はファントムでもなクリスティーヌでもなく、ラウルというキャラが私にとって一番切なくてつらい感情を覚える存在なんです(映画に限り)。

ポイント・オブ・ノー・リターンを聞いてると、二人がドン・ファンを演じてる姿を見つめて涙を流すラウルを思い出して、もんのすごく胸がきゅんきゅんするのです。彼もクリスと愛を分かち合うけれど、この場面でだけは絶対に怪人とクリス、二人の世界には入れない、ただの観客でしかありえない存在になっている。それでもラウルの涙は悔しさとか嫉妬とかではなくて、二人の生み出す芸術に純粋に感動しているように見えるのだ。パトロンやるくらいだから、ラウルは音楽や芸術関係が好きで、たとえ知識は無くとも(女性に対してブラヴォ!と言ってしまったり)そういう美しいものに惹かれていたんだろう。だけどそれは芸術家としてではなく単なる支援者であったり、見守るものであったり、つまり永遠に自らは当事者にはなりえない運命を背負っている。どんなに憧れても、その世界には手が届かない、ただ第三者的な立場で全てをその目に焼き付けるという使命を負った人だと思うのです。

だからこそラウルはファントムとクリスの悲しい運命を見守るキャラクターとして一層切なくもまた必要不可欠な存在だったのだろうと思います。芸術家のパトロンって往々にしてそんな感じの人多いですよね。

そして映画版で非常に素晴らしいと思ったのが、ラウルがラスト、クリスティーヌの墓へ行く場面ですね。何というか三人の運命の悲哀が全てあそこに凝縮されているような気さえします。あの場面が無ければ映画の感動は半減でしょう。ラウルとクリスティーヌは幸せだったに違いありませんし、やはりクリスはファントムと結ばれるべきではなかった、と私は思います(もちろん怪人と結ばれれば良かったのに・・・と思われてるファンの方を否定するわけではありません)。それでも何故か画面からは哀愁が漂ってくる。幸せと哀しみが、相反することなく同居しているのです。そこがとても不思議で、やっぱり「オペラ座の怪人」ってのは恋愛ものとして最高傑作だな、と思わされました。

ちなみに今2chでは、戸田奈津子の翻訳に関する抗議を行っている模様。彼女にはロード・オブ・ザ・リングのときも泣かされたからなあ・・・。ボロミアがかわいそうだった(泣)
今回はラウルもファントムもかわいそうです。ので、是非下記のサイトで誤解を正してあげてください。私、結構訳で勘違いしてたとこがあって、ショックでした。翻訳はなっちに限らず、作品に詳しい人を監修につけた方がいいと思います。

「オペラ座の怪人」の字幕 珍訳集

大学の後輩としては複雑ですが・・・(-_-;)

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投稿者 yukiusa : 2005年03月07日 11:53 | トラックバック
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Title: 戸田奈津子さんの英語
Excerpt: 私は英語ができません。 えぇ、もう絶望的に。 でもハリウッド映画を見慣れていれば 多少のリスニングは出来て来るものです。 そこでたまに「誤訳?」というようなも...
From: シオのねむねむ日記
Date: 2005.03.12
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