ユートピア
トマス・モア, 平井 正穂
やあ、まだまだ暑さが続いてますね〜。もう小中高生は夏休み終わりで宿題に必死な頃でしょう。ごろごろしてるのは大学生だけ、っと。
で、そんな怠惰な生活の中で、ちょっと小難しいものでも読んでやろうと思い、積読状態になっていた、トマス・モアの「ユートピア」に手を付けてみました。ユートピアってのは、今でも理想の国家や世界を意味して使ってますけど、解説には机上の空論的な理想論の意味でも使われる、と書いてあります。
この本に書かれてる「ユートピア国(ギリシャ語で”どこにもない国”)」の政治や経済システムは、一見とても理想的なんだけど、私にとっては極端すぎて逆に怖い感じがしました。まるでマトリックスやリベリオン(つまりは華氏451度)のごとく、人間が国家やシステムに支配され、暴力も戦争も無い代わりに自由も無い偽りの世界が思い起こされます。簡単に言うと、ユートピアという国は、解説にも書いてあるように(この解説、非常に分かりやすくて秀逸です)成功した共産主義国家なんです。個人の利益を追求するよりも、共有の財産をみんなで分け合うシステムの方がよろしいというのがモアの考え方であったわけです。しかし今の世の中で共産主義国家の有様を見れば何とも哀しい話ではあります(結局人間の問題でもあるので、一概に共産主義が悪いとも言えませんが)。財産共有などの極端な考え方は、先にも述べたように危険な印象を与えるものです。私はモアは確信犯なのかそれとも本気でこんな世界を夢見てるのか、と疑問だったのですが、最後の最後にモア自身の考え方として、このユートピアの制度がわが国で実際行われることは非常に難しいだろう、と締めくくっていることからも彼自身もこの国のあり方にはまだ熟考の余地があると考えているようです。ユートピアってのは結局「どこにもない国」というわけ。
で、もう一つ気になったのが最終章、ユートピアの宗教に関してで、ここではモアの宗教家としての苦心の跡が垣間見えます。国家の制度については理性に基づいた、極めて明快な理論でさくさく書いてあったのですが、やはり宗教との折り合いの付け方が難しかったらしく、他の項と違い、どうも歯切れが悪い。システムに関する理論であればどのような人も納得させられる自信を持って書いているモアでも、やっぱり宗教を国家制度として組み入れるというのは難しかったんだろうな〜、と。とはいえ宗教(キリスト教)こそが国家の芯となるべきであるというこの信念は曲げられなかったんだろう…。こういうジレンマはクリスチャンとしては良く分かります。ま、私がこちゃこちゃ書かなくても全て解説に分かりやすく書いてありますがね(^_^;)
えっと、腐女子的オチとしてはエラスムス×モア、娘婿×モア、ヘンリ8世×モ(略
_| ̄|○・・・すいません